生きている図書館…という試み
2008年 07月 08日
“ひと”が“ひと”を借りる(便宜上、借りるという言葉になるが)文字通り「生きた図書館」。目的はというと、偏見や好奇の目で見られがちな人と話す事で“お互い”の偏見を無くすこと。
例えばこんな風に…。アラブ人=過激なイスラム原理主義と思いがちなAさん(読者)が、アラブ人のBさんを「本」として借りたとする。Bさんはごく一般のアラブ人であって、そう見られがちなアラブ人の立場を、Aさんは、そう見てしまう自分、社会の風潮について話し合う。普段の生活の中ではとても実現できない話し合いが、ココでは持つことができるのだ。
これをAさん=中国人、Bさん=日本人に置き換えてもイイ。互いに持っている感情=偏見が、ちょっとした話し合いで氷解するかもしれない。
去年、中国で行われたFIFA女子ワールドカップ。日本の国歌斉唱時のブーイングなど、中国人観客の対日本へのマナーはすこぶる悪質であった。が、試合後、なでしこジャパンが「謝謝 CHINA」の横断幕を掲げたところ、罵声が拍手に変わり、これを機に、日本を見る目が以前と変わった…という中国人も少なくないという。
この横断幕事件?!を、もっとコンパクトに、身近にしたのが「生きている図書館」だと思うのだが、どうだろう(飛躍しすぎ?)この活動は00年にデンマークで始まり(さすが教育・人権の先進国、北欧でアル)現在、23カ国に広まっている。
え〜い!ちょっと小難しい話になってしまったが(笑)何事も、誰でも、一度話してみな理解は深まらない、ちゅうこと。コミュニケーションが希薄な今の日本に必要なのは、たいそうなサミットではなく、隣人とのちょっとした話し合い…なのではないだろうか。