秋のお泊まり 福井の旅 2.

平泉寺が発展したのは、越前国から白山に向かう入口=白山を開山した“越の大徳”泰澄大師が最初に切り開いた道だったからである。

参拝者の馬や荷を預かる宿はもちろん、寺社が数多く建ち並び、最盛期には「48社、36堂、6000坊」もの規模を誇ったという。
6000坊というのは、坊さんの家が6000軒あった!ちゅうことである (驚!)

こちらが当時の境内を描いた絵図 (このサイトは実にわかりやすく白山の歴史を紹介している) 6000も描いてられないから、ムニムニの線になってるのが笑う…というか、ホンマに一大宗教都市だったんだ!と、仰天した。

その僧坊の跡が、こちら中世の道なのである。


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当時としては珍しい石造りだったことが幸いして、
戦火にまみえた後も、こうして今、目にすることができるのだが、
あまりの広さのため、発掘されたのは全体のわずか1%に過ぎないらしい。
そら6000軒もあったのだ。ムリもない。。。(TOT)/


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ポンペイ遺跡よろしく、キチンと区画整理されており、
歩道があって排水の溝があり、石垣がある。
なんでも隣り合った僧坊の入口までの距離がちゃんと決まってたらしく
計画的に (笑) 増築していったと思われる。

ちなみにそれぞれの入口までの距離は、
タイプA:24.5m タイプB:49m だったそうで (ちゃんと倍!)
奥行きはともかく、かなり広くとられていたようだ。


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立派に復元された500年以上前の石畳。
山ン中なのに、よくこんなに石があったものだと感心するが、
九頭竜川からせっせと運んできたらしい。


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『平家物語』にも『太平記』にも登場する平泉寺。
富も勢力も権力もあった坊さん集団の中には、
きっと大屋敷を構える生臭坊主もいたに違いない…
と思わず思ってしまった屋敷跡 (笑)

しかし、時は戦国。
朝倉氏の滅亡と共に、一向一揆の手によって、全てが灰燼に帰してしまう。
それはきっと、空をも焦がす大火であっただろう。

時の流れというのは、本当に無情であると思う。
でも、、この静かな山あいの中に、確かにソレは存在したのだ。
きらびやかに、厳かに、ひとつの宗教都市が。


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ああ、歴史って面白いね。
こんなことを実感できるのも、地道な発掘作業のお陰。
この日も、決して多くはない人たちが作業を続けていた。
ワラワラ人が押し寄せるのはなんだけど、
もっとたくさんの人に知ってもらいたいと思った。

境内の苔を愛で、歴史を踏みしめる石畳を歩く。
4つもの「日本の百選」に選ばれた散策コースは、
まさに癒しのサンティアゴ・デ・コンポステーラ (違)
いやいや…来てよかったと、心から思ったよ。


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【オマケ】
駐車場まで戻る道すがら、民家の中を通っていくのだが、
オヒョ〜♪ 開けたら落ちる!トマソン発見! と思ったら、、、、
積雪時用の出入口と判明。なぁるほど!!

福井県屈指の豪雪地方、勝山。
実際は、こんなもんじゃ済まないだろう。
見上げるほど高い竿の先に、赤い布が結んである。
となると、コレはどうなるンだろね??(笑)
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by giova21 | 2010-11-28 23:29 | にっぽんの休日 | Comments(0)

ラテンなジョバのお気まま日記♪


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